HOME > トップインタビュー > 電気をつなぐトップの「意思と力」
一つ前に戻る
トップインタビュー
トップインタビューイメージ

変えるべきは変え、守るべきは守る 電気をつなぐトップの「意思と力」

電気事業を取り巻く環境は大きく変わろうとしている。
電力の安定供給を全うしつつ、電力システム改革の波を乗り越えようと取り組む水野明久社長は、どのような信念に基づいて、この難局を乗り切ろうとしているのか。フリーアナウンサーの長谷川玲子さんが聞く。
中部電力 代表取締役社長 水野 明久
(みずの・あきひさ)愛知県出身。
東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了後、1978年に中部電力入社。’94年に世界銀行に出向。’96年土木建築部技術グループ主幹として発電所の建設などに携わる。その後、2001年に経営戦略本部国際部部長になり、’08年取締役専務執行役員経営戦略本部長、’09年代表取締役副社長執行役員に就任。’10年6月から現職。
フリーアナウンサー/舎鐘(しゃべる)理事長 長谷川 玲子
(はせがわ・れいこ)静岡県出身。
静岡県立大学国際関係学部卒業。SBS静岡放送に入社し、アナウンサー、報道記者として9年間勤務。独立後、フリーアナウンサー協同組合舎鐘設立。2012年早稲田大学大学院公共経営研究科を修了。テレビ、ラジオに出演する他にも講演会、シンポジウムなどで幅広く活躍中。

長谷川 社長に就任されてから、4年が経ちました。電力会社にとって激動の時代だったのではないでしょうか。
水野 いまもなお、激しい流れの中に立ち続けていると思います。一番大きな出来事は、やはり東日本大震災の影響です。2011年5月の浜岡原子力発電所停止要請を受けて運転を止めてからも、電力不足に陥らないよう老朽化した火力も含めて発電しながら、“電気を止めない”という固い決意で臨んでいます。お客さまにご迷惑をおかけしないよう供給力の確保に全力で取り組む、常にそのことが頭から離れない日々が続いています。
長谷川 まさに激動の毎日ですね。
水野 さらにもう一つは、電力システム改革の流れがあげられます。’16年を目途に、一般のご家庭を含めたすべてのお客さまを対象とした電力の小売全面自由化の導入、’18〜’20年を目途に、送配電部門の一層の中立性の確保に向けた本格的な議論が進められています。1951年に現在の電力体制が整備されて以来の大幅な改革が進められようとしています。このような中、当社がこの変化の中で、どのように対応し、一歩踏み出してチャンスを見いだし、成長を目指していくのか――。今まさに、この大きく、激しいうねりの中にあります。

水野明久さんの画像
電気事業を取り巻く大きな変化をチャンスに

長谷川 水野社長は就任以来、一貫して「変えるべきは変え、守るべきは守る」とおっしゃっています。その思いに変化はありませんか。
水野 かえってその意を強くしています。電気事業制度が大きく様変わりしようとしている今、まさに変えるべきは変えていかなければ、将来はないと思っています。お客さまの多様化するニーズをくみ取って、いかに付加価値を高めていくか、しっかり考えるべき時です。
今後、制度改革に伴い、エネルギー間の垣根が一層低くなります。例えば、当社は既に電気だけでなくガスも販売していますが、これをセットで販売することで、お客さまがエネルギーに支払うコストを減らせるようにする、こうした流れを、さらに拡大していく可能性があります。
もう一つ、中部地域を事業拠点とする当社が、50ヘルツ地域においても電力販売事業を実施することとしました。事業エリアの境界がやがて無くなっていくことを想定しながら、事業を展開していかなければなりません。
長谷川 こうした変化にどう対応されていくのですか。
水野 海外事業、エネルギー事業の展開、電力システム改革を見据えた販売戦略、中部地域外における発電所の設置など、既にこれまで、いろいろ手を打ってきました。その中で近年特に力を入れている取り組みのひとつとして、アメリカのシェールガスの液化事業があげられます。単なる調達ではなく、燃料の上流権益に自ら参画し、生産者として自力でガスを輸入するプロジェクトを、まさに立ち上げようとしているところです。

このページの先頭へ
絶対に電気を止めない それが電力会社のDNA

長谷川 一方の、“守るべきこと”についてはいかがでしょうか。
水野 これは、われわれの最大の使命である電力の安定供給に直結する話です。電力は“インフラ中のインフラ”として24時間365日、常にお届けし続けなければなりません。トラブルでいったん停電すると社会的に大きな影響を及ぼします。当社には、電気事業者として“絶対に電気を止めない”という強い使命感がDNAとして連綿と受け継がれており、これからもしっかりと守り続けなければなりません。こうした“守るべきこと”と“変えるべきこと”をしっかり分けて考えながら、全社員で取り組むことが大切です。

谷川玲子さんの画像
日本で培ったノウハウを海外でも活かし貢献できる場を拡大

長谷川 先ほどお話に出た海外事業ですが、今後さらに積極的に展開していくお考えなのでしょうか。
水野 日本で作り出す電気の大半は、火力発電によるもので、そこで使用する化石燃料は全部、海外からの輸入に頼っています。日本はエネルギー自給率が5%しかありません。近年、太陽光発電や風力発電の導入が進んでいますが、まだまだ割合は非常に小さいのが現状です。電気事業は国内のお客さまに電気をお届けしているので純粋な国内企業だと思われますが、化石燃料は全て海外から調達しており、事業全体ではグローバルに見なければなりません。燃料調達は、昔は商社頼みでしたが、今は自社で契約や調達の交渉をし、自ら、燃料の開発・生産、輸送などにも関与するプロジェクトも立ち上げています。
長谷川 地球規模で、経営を考えておられるということですね。
水野 そのとおりです。電気事業の国内市場は、かつての高度成長期のように拡大し続ける時代ではありません。しかし海外、とりわけアジアでは、現在はまだ電気使用量は少ないながら今後、経済発展が見込まれる国や地域がたくさんあります。経済発展を最初に牽引するのが電力であり、インフラを整備しなければ工場も建ちません。私どもが日本で培ったノウハウをもって海外に出ていくことで、貢献できる分野はたくさんあると思いますし、将来的にますます広がっていくと見ています。
長谷川 原子力についてはどのようにお考えでしょうか。
水野 原子力発電所は安全運転が大前提ですが、残念ながら福島第一原子力発電所で事故が起きてしまいました。今後も、厳格な安全対策を実施したうえで、資源の乏しい国として原子力で一定程度の発電量を持つことがエネルギーの安全保障上も必要だと考えています。いろいろご意見もいただいていますが、原子力発電は、ウランを一度輸入すると長期間使うことができ、また再利用できることから、準国産エネルギーといえます。
長谷川 アジアでは中国などが原子力発電所の建設に積極的ですね。
水野 アジアでは中国も韓国も原子力発電に力を入れています。日本は福島第一の事故の教訓を活かし、安全のレベルをさらに上げるよう取り組んでおり、これまで培ってきた原子力の技術が世界で活用されるように、グローバルな観点から考えていくことも必要だと考えています。

長谷川玲子さんと水野明久さんの画像
個性を尊重し躍動感のある組織を目指す

長谷川 これから電気やガスの垣根がなくなると、エネルギーをお客さまが選ぶ時代になっていきます。そのときお客さまから“やはり中部電力でなければ”と言われるために必要なことは何でしょうか。
水野 それは信頼がおける会社かどうかが最も大きな要素だと思います。いつでも電気を停電することなく届けてくれ、かつ安く電気を購入できるところをお客さまは選択されるでしょう。われわれは、お客さまに選ばれる時代に向けて、電気だけでなく付加価値を加えたサービスを提供出来るように工夫していかなければなりません。
長谷川 消費者に選ばれるためには、きめ細かいニーズを満たすことが必要になってくると思います。そのためには、人材の重要性がますます高まってきますが、人材の育成についてはどのようにお考えでしょうか。

このページの先頭へ
お客さまに選ばれ続ける会社であるために「人財」の育成が重要

水野 私どもでは、人材というときには「人は宝」という意味で“人財”という言葉を使っています。企業で最も大切なのは“人”です。私は常々、社員の個性を最大限に尊重し、社員一人ひとりの力が最大限発揮できる躍動感のある組織にしていきたいと考えています。当社にはさまざまな業務があり、それぞれの専門分野があります。自分の専門分野では誰にも負けない本物のプロフェッショナルになるよう、一人ひとりが失敗を恐れずチャレンジしてほしい。そういうプロがチームを組んで組織として成果を出していく――それが当社の理想的な在り方だと考えています。
また、当社でも女性の活躍の場はますます広がっています。私が世界銀行に出向し、海外で仕事をしていた際の上司は、とても優秀な女性でした。当社でも今後、女性にもさらに力を発揮してほしいと願っています。

志願して世界銀行に出向インドの水力発電事業に携わる

長谷川 水野社長は中部電力のワシントン事務所に赴任中の1994年に世界銀行に出向されていますが、ご自身の希望だったのでしょうか。
水野 そうです。ワシントンでは国際機関で働く人たちとたくさん接触する機会がありました。当社も今では多くの社員が海外に出て仕事をするようになりましたが、当時はまだ国際交流や海外からの研修生を受け入れる程度でした。ただ、エンジニアとして、将来、自分たちの技術を海外で役立てる時代が必ず来ると思いましたし、自分の専門性が活かせる非常にやりがいのある仕事でしたので、会社のためにも自分のためにもなると考えて自ら志願して、世界銀行で働くチャンスを得ました。

世界銀行時代(1995年)多国籍のチームメートとの画像

世界銀行時代(1995年)。ワシントン事務所に赴任後、世界銀行に出向、約2年半のうち、インドに9回、 延べ9カ月も出張。インドでの水力・火力発電所建設のプロジェクトを多国籍のチームメートとともに担当した。 プロジェクトを進めていくための熱い議論を、現地スタッフと交わし、国境を越えたチームワークの大切さを再確認した。

長谷川 先見の明ですね。実際には、どのような仕事をされたのですか。
水野 世界銀行は、その役割の一環として、途上国のインフラ整備のプロジェクトなどにも融資しています。私は水力発電を専門とする電力技術者ですので、約2年半、主にインドの水力発電プロジェクトに携わりました。その間インドには9回行きましたが、1回につき約1カ月現場に滞在しました。議論がかみ合わなかったり、建設が止まったりすることもあり、苦労しましたが大変よい勉強になりました。
インドはアジアの国ですが、ミャンマーから西側はアジアでも少し世界が違います。インドの人たちはすごく主張してきます。こちらの発言の10倍くらい返ってきます。しかし、内容はあまり重要なことは言っていないことがよくありました(笑)。困ったのはインドなまりの英語で、当初は、何を言っているのか分からず、隣にいたネイティブに聞くと彼も“分からない”と。それで気が楽になり、重要なことだけ繰り返し、しっかり伝えて確認するようにしました。

長谷川 しっかり自己主張するインド流に慣れると、日本に帰国された時に、物足りなく感じたのではないですか。
水野 日本は“以心伝心”ですからね。海外で多国籍の人たちと仕事をするときには、主張すべきは主張しないと埋没してしまいます。日本人は、一人ひとりも優秀ですが、チームとして仕事をすると一番パフォーマンスを出せる国民だと思います。この才能をうまく活かしていく必要があると思います。
長谷川 水野社長のモットーとされる、“フェアであること”と関連するのですか。
水野 そうですね。多国籍、多民族の人たちと働くと価値観が違うので、誠実な姿勢とフェアな立場での説明や説得が必要になります。その経験から、私は“フェアであること”を自分の仕事をするスタンスのベースに置いています。

長谷川玲子さんと水野明久さんの画像
このページの先頭へ
インフラを担うための矜持を育んだ奥美濃、海外の現場体験
エンジニアの原点 奥美濃水力発電所で鍛えられた現場時代

長谷川 ’78年に水野社長が入社されて以来、36年間仕事をされてきて一番心に残っているのは。
水野 入社して最初の10年は水力発電所の設計・建設を担当しました。そのうちの4年勤務した奥美濃水力発電所(岐阜県本巣市)の建設現場が自分を育ててくれた一番思い出深い職場です。
長谷川 電力需要ピーク時の供給力確保の切り札として大きな期待が寄せられているとお聞きしました。今年で運転開始から20年を迎えたそうですね。
水野 感慨深いものがあります。20年たった今でも、ダムに関する細かいデータが頭に残っています。
奥美濃水力発電所は、中部電力で最大の発電出力150万kWを誇る揚水式水力発電所です。そのアーチ式ダムの設計では、許認可審査の段階で異論が噴出して、前に進まない状況でした。当初の設計では、山を傷めないよう基礎を浅くして掘削を減らした斬新な形状を追求していました。ダムの識者からは問題なしとの見解を得ていたものの、審査では前例がないとの反論を受け、最終的には、設計を一かやり直すことになったのです。この対応に関係各所のコンセンサスをとる方向を見いだすまで3年かかりました。
長谷川 大変ご苦労されたのですね。
水野 先が見えないトンネル状態の中でもがき、本当に厳しく苦しい時期でした。方向性が見えてからの1年間は設計チーム全員でがむしゃらに働いて設計をまとめたのです。
素晴らしい先輩にも恵まれ、自分たちの設計に許可がおり、着工に向けての準備が整ったときは、涙が出るほどうれしかったことを覚えています。私にとって奥美濃水力発電所は、エンジニアとしての自分を育ててくれた親のような存在だと言っても過言ではありません。
諦めずに取り組めば必ず道は開かれることを身を持って学びました。
長谷川 そういう体験をされたからこそ、“諦めない”をモットーにされているのですね。
水野 物事を成し遂げるときに、簡単にいくことは一つもありません。チャレンジする価値のある仕事は、ただ真っすぐ突き進めば到達できるようなものではなく、何度も何度も壁にぶつかりながらそれを乗り越えることで道が開け、ゴールへたどり着くわけです。その途中には、非常に苦しい時期があります。しかし、そこで絶対に諦めないという執念が必要となりますし、そこで必死にもがくという体験がさらに自分自身を成長させるのではないでしょうか。

奥美濃水力発電所建設時代(1985年)の画像

奥美濃水力発電所建設時代(1985年)、トンネル開通時。中部電力最大出力を誇る奥美濃水力発電所の建設にも携わり、建設準備工事と、国への許認可申請を担当。データを何度も見直し、仲間たちと議論を重ねてダム、地下発電所、水路構造物の設計をまとめあげた。

このページの先頭へ

あらゆる現場で働く多様なプロの仕事が安定供給に結実

長谷川 エンジニアご出身ということもあるからでしょうが、お話を伺うと、現場への思い入れを非常に強く感じます。
水野 やはり現場は大切です。現場が分からないと会社のことは分かりません。ひとくちに現場といってもそこで働くのは技術者だけではありません。例えば、発電所や送電線をつくる際には、まず用地を確保しなければなりません。地元の人の中に入っていって「これは必要だからぜひお願いします」と話をする仕事もあります。それぞれに専門性があり、プロの現場です。外からは見えにくいのですが、電気というひとつの商品をつくり出すために多様な人が一生懸命働いた結果、電気をお届けできているということです。
長谷川 私たち消費者には見えないところで、いろんな方の取り組みがあるわけですね。
水野 そうです。私も入社するまで見えませんでしたし、入社してからもしばらくは分かりませんでした。最初は山の中で水力発電所の建設に携わり、発電所をつくることにフォーカスしました。その後、本店の企画部門に異動して会社全体の設備計画に携わるようになり、いかに電力会社の仕事の幅が広いかがようやく分かってきました。

長谷川玲子さんと水野明久さんの画像
このページの先頭へ
暮らしや産業を支えるサービスを提供し社会に役立つ会社であり続けたい
インフラ事業者として社会に貢献する仕事に身を投じる

長谷川 そもそも大学で土木工学を専攻された理由は何だったのですか。
水野 インフラの魅力です。インフラをつくることは社会に役立つことに直結します。自分が役に立てる分野でモノをつくり、形として残すことに関心があったからです。なぜ電力かというと、電力が経済成長を牽引し、電力は“インフラの中のインフラ”といわれるくらいの事業ですので、わが身を投じるに不足はないと考えてのことでした。
長谷川 中部電力へ入社されてその思いを全うしようとされたのですね。
水野 そうです。大学は東京に行きましたが、自分が育った故郷はここにありますし、当時、中部電力が大きなプロジェクトを抱えていたこともあり、入社して役立ちたいという思いでした。
長谷川 もう一度学生に戻って就職するとしたら、どうですか。
水野 そうですね。当社は新しいことに取り組む精神が旺盛な会社ですし、もう一度就職するとしても当社を志望し、また大きなプロジェクトに関わることなどを通じて、社会のお役に立ちたいと思います。

このページの先頭へ

Q&Aカテゴリーごとにご覧いただけます。 Category

冊子「場」のご請求、ご意見・ご感想・ご質問をお待ちしております。 Back number & Contact