電気のこれからを考える「場」

現場の底力

特別企画
地域との二人三脚で
世界に誇れる発電所を目指す

中部電力 顧問
水谷 良亮(みずたに・りょうすけ)
三重県出身。小学校入学前に名古屋へ。1970年3月名古屋大学工学部原子核工学科卒業後、同年4月中部電力入社。ʼ76年4月浜岡原子力発電所に配属。原子力の設計建設、試運転、運営管理に携わり、2005年取締役 執行役員 浜岡原子力総合事務所長に就任。浜岡原子力総合事務所長を9年間(’06年常務取締役 執行役員、’07年取締役 専務執行役員)務め、’14年より現職。

持てる知恵と行動力を結集させ
さらなる安全性向上を追求

中部電力浜岡原子力総合事務所長を務めていた水谷良亮にとって、忘れられない日がある。それは、福島第一原子力発電所事故から約2カ月後の2011年5月6日。政府が、突如開いた記者会見において、浜岡原子力発電所の停止要請を発表した日である。記者会見後の浜岡原子力発電所の緊急時対策室は静まり返っていた。そこに集まった従業員の前で水谷が最初に発した言葉は「悔しいなあ」。安全対策をしっかりしてきたのに… という気持ちもあったが、何より支えていただいている地域の方々に対する申し訳なさからくる悔しさが交錯した。「言葉はそれしか出なくて、あとは涙が出るだけでした。そこで発電所員の何人かから『良さんの気持ちわかるぞー、やるしかない』と声をかけてもらって、救われた気持ちになりました。みんな、いい奴らなんですよ」。

水谷は気持ちを切り替え、「地域の皆さまの安心につながるよう、これを機会に『安全最優先』をさらに加速し、世界に誇れる安全な発電所として運転再開を目指そう」と決意を新たにした。そして、津波対策や耐震補強など、持てる知恵と行動力を結集させ、浜岡原子力発電所の安全性向上のための大工事に着手した。「現場で働く人たちの心を一つにするために、総決起集会を開き、標語を考え、ワッペンやポロシャツも制作しました。当社だけではなく、協力会社の人も巻き込んで。協力会社の支えがあってこその浜岡ですからね」と水谷は語る。標語は、100通を超える応募作の中から"心と力をひとつに 安全と安心の原子力発電所を 浜岡から世界へ"が選ばれた。大漁旗やワッペンにして、常に目にして、辛いとき、苦しい時に心を奮い立たせてくれる合い言葉にもなっている。

コツコツ積み重ねてきた
地域との「絆」と仕事への姿勢

「中部電力には、たくさんの人と人との物語がある。浜岡もそのひとつです」と水谷は語る。旧浜岡町(現在の御前崎市)が、原子力発電所の建設を受け入れたのは、1967年9月。全国で原子力反対の運動が展開されているさなかのことだった。旧浜岡町の住民は、自ら講師を招き、原子力について数カ月間で200回以上もの勉強会を重ねた。そして、「安全が確保できれば受け入れる」と決断を下した。「その経緯を知った私は、胸が震えました。地域の皆さまの決意に、安全最優先で応えようという中部電力の志を強くしました。これは今も私たちのモチベーションになっています」と語る水谷は、徹底して「安全最優先」に取り組んできた。

しかし、こうして積み重ねてきた地域との関係性を揺るがしかねない出来事が起こる。2001年の1号機配管破断事故、自主点検問題、ʼ06年には5号機の低圧タービン損傷。そして、ʼ07年に公表した発電設備に係る過去の不適切事象。このとき、水谷は謝罪するために叱責覚悟で地域の方々に説明に伺った。厳しいご意見をたくさんいただいたが、一方で、「正直にもっと早くに公表しておきゃええのに」「浜岡原子力発電所は、私たちの宝だと思っているからこそ、しっかりしてよ」という温かい言葉もあった。「思いがけない言葉に涙が溢れるのを止められませんでした。信頼してくださっている地域の皆さまを裏切ることはどんな小さなことでも絶対しないと改めて心に誓いました」と水谷は当時を振り返る。「この出来事によって、安全に対する意識がさらに高まりました。当然のことながら、隠さず、ごまかさず、事実を正直にスピーディーに伝える。ボタンを決してかけ間違えてはいけないことを、肝に銘じています」。

副所長時代

1986年 浜岡原子力発電所3号機補助ボイラー火入れ式

副所長時代

1995年 浜岡原子力発電所(技術系列)副所長時代

チェルノブイリ原子力発電所訪問

1993年 意見交換のためチェルノブイリ原子力発電所と周辺地域などを訪問

「会社人生の半分以上は浜岡原子力発電所に勤務しており、浜岡は私のホームグラウンドですよ」と笑顔で話す。「散歩をしていると、すれ違う地域の方から『所長さん?』と声をかけられることもありましたよ」。御前崎市の石原茂雄前市長とは、時には声を荒げるほど熱く議論するときもあった。「うわべだけの付き合いではない。まるで真剣勝負の戦友のようだと思っています」。

ドラゴンボート大会

ドラゴンボート大会での記念写真。地域のイベントに参加し、交流を深めている

富士登山

浜岡原子力発電所の新入社員との富士登山

原子力とラグビーと共に歩んできた人生
その根底にあるのは"信念"

1970年の入社以来、原子力一筋に歩んできた水谷。「正しい知識と確かな技術があって成し遂げられるのが原子力の安全です。技術に溺れることなく、どんな時も安全を最優先する。この意識はずっと変わりません」。そんな水谷の原子力人生は、中学生の時に手にした『新パンドラの箱』という一冊の本がはじまりだった。原子核エネルギーの可能性に希望を求め、大学では原子核工学を専攻し、就職も原子力に関係する仕事を志望した。「研究者、官僚、メーカー、ユーザーの4つの道がありましたが、原子力の全てを知りたいと思っていたので、ユーザーの立場から原子力に関わることのできる中部電力へ入社しました」。

名古屋大学工学部原子核工学科に在学中、研究の様子

原子力の解説本

原子力への道を歩むきっかけとなった原子力の解説本。中学時代、6歳上の兄の本棚で見つけ、夢中になって読んだ

もう一つ、水谷の人生に欠かせないものは、ラグビーだ。高校入学と同時に、兄の影響で小学生の頃から憧れていたラグビー部に入部。引っ込み思案だった良亮少年を人前で物おじしないたくましい青年に変えた。大学はもちろん、社会人になった今でもラグビーに夢中だ。ラグビーを通して学んだことは、原子力の仕事にも生かされている。「高校時代、先輩から教わった『スパイク磨き』。"本番に備えて準備を怠るな"という戒めです。試合前日、スパイクを磨くと心が落ち着きますね。これは今でも行っています。原子力に向き合うのも同じ。適度の緊張感を持ち、最善の準備をしていれば、心を落ち着けて業務に取り組める。安全最優先にも、ラグビーの教えが生きています」。

現場が大好きで、発電所員から「良さん」と慕われる水谷。「"ラグビーは、少年をいち早く大人にさせ、大人には、いつまでも少年の心を忘れさせない"と言われます。どんな苦しい状況になっても、常に純粋な少年の心でいたいですね」と、明るく前向きな性格は、浜岡原子力発電所全号機停止の大ピンチに立ち向かう原動力となった。

大事にしている言葉は、"信念"。「行動の基礎となる態度です。信念を持って接すると、気持ちは相手に必ず伝わります。"浜岡を宝"だとこれからも思い続けていただけるように、私たちの取り組み、気持ちを伝えていくことが、定年後でも私に課せられた使命だと思っています。苦しいときこそ燃えるのが私の性分で、タックル・トライは私の専売特許ですからね」と少年のように笑うのだった。

文・構成/宮下 和子

名古屋大学ラグビー部に所属。高校、大学、中部電力とそれぞれに入部し、楕円球を追いかけた

現在もトレーニングを欠かさない。シニアラグビーにも参加

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